私と食洗機のものがたり

11月も下旬ですね。今年もありがとうございましたともう言いたいくらい、日々のスピードの早すぎることに驚いております。

 

さて今日のコラムですが、つい先日、食洗機が壊れまして!

 

エラーが消えず、ブレーカーを落として再起動してもだめで大変困りました。

 

若干途方に暮れながら、そういえば私は、そもそも食洗機には子供のころからそこそこ思い入れがあったことを思い出しました。

 

今日は、食洗機への思い入れと、ピンチの時に取った行動からの気付きをお話したいと思います。

 

話は過去にさかのぼり・・ほわんほわんほわんほわん・・

 

 

 

 

わたしと母の食洗機物語

 

私は幼少の頃、父の仕事の都合でアメリカで暮らしていまして(1980年代後半から90年頃まで)、

 

母は食洗機のことをディッシュウォッシャーと呼び(まんまですが)、毎日欠かさず使っていました。

 

システムキッチンが日本で流通しだしたのが1980年代なので、母はおそらくアメリカ駐在時代にはじめて食洗機と出会ったのだと思われます。

 

母は食洗機を大変気にいっていて、私も子どもながら「でぃっしゅおっしゃーちゃん」と呼び(母親が好きなものって子どもも大抵好きですよね)、食洗機は日々の暮らしの真ん中に存在していたと記憶しています。

 

余談ですが洗剤もね、当時は紙の箱に入っていて、アルミでできた口ばしを箱の横からスッと出して、ディッシュウォッシャーの扉の内側についている専用の洗剤入れにサラサラと注ぐのがなんとも軽快でしたね。洗剤を入れ終えると、独特の丸い形状の蓋をスライドして閉めてスタート。なんだか一つ一つがすごくおしゃれでした。

 

 

日本とアメリカのメカの違い

 

時は流れ、日本で生活するようになったら母は、日本の戸建てのキッチンにも一応アメリカ時代のようなフロントオープンタイプのディッシュウォッシャーをつけました。

 

にも関わらず、まったく使わないようになりました。あんなに毎日使っていたのになぜ使わなくなってしまったのか子どもながらに疑問に思い、その理由を尋ねたところ、

 

「威力がなくて、なんかちゃんと汚れが落ちないのよ」

 

「アメリカのはすぐに終わったけどなんか日本のは時間がかかっていやだ」

 

「終わった後も乾きが悪いし・・」

 

「手で洗った方が早い」

 

・・と、そんな回答だったと記憶しています。あんなに毎日使っていたのに、ちょっと合わないな、違うな、と感じたら全く使わないようになるんだなと不思議に思いました。

 

今思うと、そのころの日本の食洗機はまだ初期の段階。本場アメリカのものに比べると、性能の物足りなさが母にとっては顕著だったのかもしれません。

 

**

 

またまた時が流れ、父が亡くなり、母と私の二人で新築のマンションに引っ越した際には、キッチンには引き出し式の食洗機がついていました。(日本では主流の形です)

 

ですがそれも、母はほとんど使うことはありませんでした。理由を聞くと「あまり入らない」「時間がかかる」「手で洗った方が早い」とやっぱり同じような答えなのです。

 

母にとってはアメリカ時代のディッシュウォッシャーは相当使い心地が良かったのだなと、それを超えないメカは「使うに値しない」のだなと(←言い方w)そんな風に何気なく思ったものです。

 

人の価値観って「こう」と決まったら、なかなか更新されることってないですからね。

 

しかし私は割と価値観をすぐに刷新するタイプ(あまりこだわりがない)

 

私は食洗機を使うのか否か

 

そんなこんなで私は、自分自身が家を持った時に、食洗機を使うようになるのか、自分の生活の慣習になるのかが非常に興味がありました。

 

母の様子を見ていると、食洗機というものは

 

「威力が大事」

「短時間で終わることが大事」

「量が入るのが大事」

「それが満たされなければあっても使わない」

 

というデータが自分の中には刷り込まれていて、いざ自分が家を持った時にはどう思うのだろうとわくわくしていました。

 

とりあえず形状だけは「フロントオープン」にこだわって、あとはまあ、とりあえず使ってみることに。

 

そうすると私はですね、一番魅力を感じたのは食洗機の「威力」の部分でした。

 

衛生面と言いますか、60度~70度の高温で洗い上げてそして高温風で乾かしてくれる、カラッと仕上がっていることがよくわかる手触り。

 

これは自分の力では叶えることができない部分で、メカだからこそできる価値だと感じました。すごいぞ食洗機。

 

さらにもう一つのメリット、シンクに汚れた食器が置きっぱなしにならないというのもかなり価値を感じました。

 

汚れた食器はスイッチを入れるまでの間も、庫内で待機させることができるので、私の仕事(汚れた食器を見えない所に追いやる)は、料理をしながらでも都度パパっと実行することができるのです。これは非常に、非常に良い。

 

食洗機が壊れてわかったこと

 

晴れて私は、自分なりの食洗機の魅力を見出し、毎日23度食洗器を回すライフスタイルとなり、7年が過ぎました。

 

で、今回故障をしましたので、もうガーンです。(たったの7年で~ガッデム!!)

 

あれこれと原因を解明しようと3日間じたばた、そこから修理に来てくれるまで2日。計5日間、食器は手洗いという日々を過ごしました。

 

最初の1日目はくっそーと思って相当イライラしましたが(笑)、そうも言ってられないので、2日目には洗った食器をすぐ拭きすぐしまうという戦法を取り入れました。

 

これで心情はやや晴れてきて(見えるところにいつまでも食器が出ていることが私にとってはストレスということもわかり)、

 

3日目4日目は「私が洗って夫が拭く」とチームでやることに。

 

意外と会話も普段より生まれたりして、案外楽しくやり過ごしました。いい機会なので食洗機の庫内も大掃除しました。

 

5日目に修理に来ていただき、原因はお湯の出るところの配管の経年劣化でしたよ。(たったの7年でヒビが入るんだね)

 

そして無事、2時間半くらいかかりましたが、元通りに直りました! ほ~

 

普段通りにいかないときは、価値観に向き合う絶好のチャンス!

 

この数日間で思ったことをまとめると、

 

1・食洗機が生活に馴染むか否かは、その人の価値観がけっこう現れる

→誰かにとっては便利でも、自分にとっては違うこともある。逆もしかり。

「自分にとってどうか」は、観察してみて初めて見えてくるものである。

 

2・ピンチの時はいい方向になるように工夫をしたり、具体的に動くことが大事

→ピンチのままで停滞しないこと!前進しよう!

 

3・普段と違うことが起こった時は、自分の価値観に触れるチャンス

→なんでモヤモヤするのかな?は自分への問い合わせの絶好の機会です。

 

家電に頼って生きている現代人にとって、それが壊れることはもはや日常生活を脅かすことになりかねないことですが(たとえそれが数日でもね)、

 

でも、起きてしまったことをずーっとイライラして過ごすのはつまらない。

 

その真意はなんだろうと考えることは、自分自身の価値観とも向き合う時間にもなるなあと今回思いました。

 

セルフケアしながらちょっとでもよくなることを考える。日々ってこんなことの繰り返しですよね。

 

最近のモヤモヤしたことはありますか? モヤモヤしていること、ぜひ、観察してみてくださいね。思わぬ自分の真の価値観に、触れることができるかもしれません!

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

中居 綾

 

お知らせ

ウォールデコレーション(壁紙を変えたり、飾ったりする)メニューを、12月にローンチします。

その際にはまたお知らせしますので、どうぞお楽しみに^^