column01 「母」と「大人になった娘」の住まいに、リノベーションの選択肢を

インテリアコーディネートやリノベーションの選択肢を私が「一番届けられたらいいな・・」と思っている世帯があります。

それは、「母」と「大人になった娘」の世帯です。

実は、フリーランスになろうと決めた時に、『母と娘の二世帯化コーディネーター』という肩書にしようと思っていたくらい、「母と娘世帯」に対して、私は強い思い入れがあるのです。

母と娘

それには2つのきっかけがあって、1つずつお話しますね。

1・私自身が「母娘世帯」になったこと

私は27歳の時に父をすい臓がんで亡くし、33歳で結婚するまで、母と二人で暮らしていました。
4つ上の兄は既に独立して家族を持っていて、元々実家暮らしで独身の私は、母との暮らしを継続しました。

わたしは27歳で仕事もしていましたし、しっかり大人なのですが、どうしても父の不在を受け入れられなくて、

歩いていても、電車に乗っていても、普通に仕事をしていても、ツーと涙がこぼれるような心のどこかが機能していないような感覚が長く続いて、

生活はしているけれどどこか無気力で、「生きる」事への意欲がほとんどなくなっていました。

そして私は「父」をなくしたけれども一緒に暮らす母は「夫」を亡くしていて、同じ人物を失った哀しみについて共感はするけれど、苦しさの質は全く別であるとも気づいて、

言葉にするのは難しいのですが、私は一番母のそばにいるのに、母の悲しみを本質的に理解はできないのだなと思うと、とても悔しいというか歯がゆいというか、それを通り越して諦めのような心境になって行きました。

悩んでいる女性

理解できない人と一緒に生活をするのは苦しいな・・とひとり暮らしの為の部屋を何度も探したり、なるべく残業をして帰宅時間を遅くしたり、休みの日は用もないのに出かけるなどして意識的に母を避けていた時期もありました。

その想いを抱えながら1年が過ぎた頃、些細なことで口論なども増えてきて、このままでは二人とも壊れてしまうなと感じるように。

何が問題なのかを考えた結果、もちろん色々な要素はあったと思いますが、私の中では「家が良くないのでは」という結論に至りました。

当時住んでいた家は築20年の戸建。父が想いを込めて建てた家です。

私が小学2年生の時にお家が建設されていて、その頃暮らしていた千葉県から川崎市まで、車で2時間かけて、父と毎週のように見に行きました。

当時兄は小学校6年生の受験生で、母も必然的に兄のサポートをしていたので、この時期は私と父は行動をよく共にしていて、父の新居に対する想いは多分、家族の中でも私が一番浴びていたというか、家づくりに関しては、子どもながらに父の良き理解者のような間柄だったと思います。

作られる経緯も見ていた私自身が「家が良くない」と結論付けるのも抵抗がありましたが、家自体が悪いのではなくて、

「働き盛りの27歳の女性」と「夫を亡くして引きこもりがちな60歳の女性」にとっては「合わない」という結論に至ったのです。

まず動線です。勝手口から帰宅すると(我が家は玄関より圧倒的に勝手口の方が生活動線でした)

ダイレクトにキッチンダイニングへ(9割がた母がそこで待っている)


仮に母を逃れたとしても2階の自室に行く途中で絶対に母の寝室を通る(寝ていることはほぼない)

絶対にコミュニケーションが取れてしまう動線がまず当時の私にとってストレス(笑)

母にとっても、日々終電近い娘の帰りには心配でヤキモキが募っていたはず。

子どもの頃は良かったのです。勝手口を開けたらすぐにキッチン!
元気に『ただいま』を言って、ご飯を作っているお母さんに会える。

でも大人になるとその利便性は一転、「程よい距離がとれない」というネガティブな一面に。

また、バス停や駅までもやや遠いという立地も母をより孤立させる要因になっていました。

そこで「二人で住まいを変える」という選択をします。

結果、母も私も心が救われ、回復し、同居を続けながらも、精神的な自立をすることができました。

父を失った悲しみはもちろんありましたが、私を苦しめていた本当の理由は「母との新たな関係性を受け入れられなかった」

ここに気づいて向き合ったからこそ改善する方向に進むことができたと思います。

2・娘と母で再出発した二世帯住宅化リノベーション

もう一つのきっかけは、お客様の実例から。

都内に住む40代、キャリアウーマンのあきこ様(仮名)は、私と近い時期にお父様を亡くされ、長年闘病されていた弟様まで続けて亡くされました。

お母様は広い一軒家に一人暮らし。
あきこ様はご実家から2キロ圏内にマンションを借りて暮らしていました。お家を出られてマンションに移ったのはつい最近のことだと言います。

私はお家のメンテナンス工事のご案内をしに、お母様とたびたびお会いする機会があり、亡くなられたご主人様やご子息様のお話や、最近家を出られたお嬢様(あきこ様)のお話はお母様からお聞きしていました。

なんとなく、あきこ様は私自身と重なるな、と思いました。そして勝手ながら、『あきこ様はお母様をさぞ気にされているだろう』とも思いました。

それでも実家のそばで一人暮らしを貫くあきこ様。それも、すごくわかるなぁと、思ったのです。

「今家を出ないと、一生家から出られない」
「お母さんは大事だけれど、私は私の人生を生きたい」

私も同じようなことを当時思っていました。

とはいえ、立派で交通の便もいい戸建てです。いつかはお嬢様が継ぐことはあるかもしれない。

不要なことかもしれないと思いつつ、いつかこんなお住まいになるといいなという気持ちを込めて、『未来提案』のスケッチを、お母様に託すことにしました。

それは、「お母さん世帯」と「お嬢さん世帯」を電気・ガス・水道を分けて、玄関も2つ作り
完全に「2世帯化」するリノベーションプランでした。

設計図

母娘たった2人だとしても、母には母の人生があって、娘には娘の人生があって、

依存することなく、干渉することなく、自立しながらも協力し合える生活導線を考えることは意義のあることだと思いました。そして、このお家ならそれを叶えられるポテンシャルもあったのです。

1、2ヶ月ほどが過ぎた後に、あきこ様から『会って話がしたい』とご連絡をいただきました。

そこから、半年以上かけて、ご実家での『母と娘の二世帯化』が実現しました。

まとめ・大人のなった母と娘にリノベーションの選択肢を

住まいの整え方にはいくつかあります。
私やあきこ様に必要だったことは、大きく分けて2つの事です。

一つは、

大人になった娘と母、ふたりにとっての「最適な距離感」を見つけること。

もう一つは、

『父や母のもの』だった実家を、『自分のものに着替える』ことでした。

大人の娘と母は別世帯。
親子であっても、同じ女性同士でも、れっきとした個人として尊重することが大切だと思います。

私やあきこ様だけでなく、

大人になってから、再び親との同居を考えている方、
一人暮らしの母親が心配で、将来的に同居を視野に入れている方、

たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
でも、『それわたしです!』と挙手するようなことはまずなく、その想いは埋もれているようにも感じます。

母、娘に限ることなく、家族同士、お互いを尊重する生き方、住まい方を考えることは大切なことです。

依存ではなく共存の気持ち、孤立ではなく自立する住まい方。

インテリアや間取りでそんな生き方を叶えるお手伝いをしていきたいと心から願っています。